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物質文明の弊害-「与える」素晴らしさに気づけない理由 [個性・使命・自分らしく]


現代は科学技術の発達により、物質的には豊かな生活ができています。しかし、大抵の問題が、お金で解決できるようになった分、助け合いがなくなり、人間関係が希薄化してきているように思います。


僕の尊敬するある人が最近言っていました。


『現代は人間関係が希薄化していて、「人の役に立とう」「与える側の人間になろう」という人が少ない。人によっては偽善だと捉えている人もいる。だから広がらないし、成長しないし、生きる喜びもない。一度でも与える側の人間になれば、その素晴らしさを実感できるが、個人主義が蔓延しきっていてそれもない』と。


確かにそうかもしれません。欲望に支配されて、刹那的な生き方をしてしまうのも、そういったところに原因があるように思います。


「与える」という行為は、自分から率先して経験する以外に、それを理解する方法がないんですよね。自分の内側に愛があることや、人の役に立てる力があることに気づけないのです。人間関係がなくても、お金さえあれば生きていける社会だからこその弊害です。


エーリッヒ・フロムの言葉をシェアします。

『与えることは自分のもてる力のもっとも高度な表現なのである。与えるというまさにその行為を通じて、自分が生命力にあふれ、惜しみなく消費し、生き生きとしているのを実感し、それゆえに喜びをおぼえる。与えることはもらうことより喜ばしい。それは剥ぎ取られるからではなく、与えると言う行為が自分の生命力の表現だからである。』

引用元:エーリッヒ・フロム著「愛するということ」




自分の利害や損得ばかりとらわれた人生はつまらないです。他から切り離されるので、なんの吸収も、なんの広がりもなく、ただ時間が過ぎていくだけです。


「与える」生き方というのは、偽善でも、自己犠牲でもなく、自分の生命力を発揮するという意味で、豊かな生き方なんですよね。


p.s.
実は似たような記事は何度も書いてきていますが、特に伝えたいテーマなので、切り口を変えながら投稿しています。


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