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松下幸之助哲学ー知識の奴隷になるな [挑戦・試練・自助努力・継続]


これは松下幸之助さんの言葉の中でも特に深い言葉かなと思います。


知識というのは道具やからな。身についた道具やからな。知識それ自身が自分ではない。道具に使われたらいかんと思う。道具は使うほうでないといけない。非常に難しい話やけれども、知識の奴隷になったらいかんわけや。知識の主人公になって、知識を縦横無尽に使いこなさなければならない。皆さんは今は知識それ自身が主人やと、知識それ自身が偉いというふうに考えている。僕は知識がないから、そんなふうに考えへん。楽な話や。皆さんは知識がいっぱい詰まっているから頭が重いんや。

引用元:松下幸之助「リーダーになる人に知っておいてほしいこと」



僕も似たような考えを持っています。


現代の学校教育は知識偏重のテスト教育ですが、これは、「たくさん知識を持つことが凄い」「先生は偉い」「自分の頭で考えない」「知っている世界が全て」「教わったこと以外はしない」という錯覚が生まれやすいんですよね。


こういう刷り込みを受けて育ってしまうと、その都度その都度、吸収していく知識自体が、固定観念・先入観・余計な常識を作ってしまい、それらが創造性を邪魔したり、本質を見えなくする原因になってしまうのではないかと思います。


また学校では、先に「正解とされるもの」を詰め込むような教え方をしますが、これだと、自分で体験しないまま分かった気になってしまうんですよね。知識に依存しやすくなり、本来大事な「実体験から学ぶ」ということをしなくなるのです。


つまり、知識偏重で生まれてしまった、固定観念・先入観・余計な常識というものを解放する機会を逃してしまう恐れがあるということ、それにより、創造性ある人生、本質に即した人生を歩みにくくなるということです。


例をあげると、「怖いとか、不安とか、いろいろ先入観があったけど、やってみたら案外大丈夫だった」といったような、実体験において先入観から自分を解放させるといったことができなくなるということ。これは人間関係の構築や乗り物の運転などに多いように感じます。


もうひとつ例をあげると、知識を得るだけで分かった気になってしまうことにより、実体験により得られるであろう気づきや感動を得られなくなり、そこから広がっていくであろう道が閉ざされてしまうということ。気づきや感動がなければ、「自分はこういうことがやりたかった」「こういう工夫をすればまた別の良いものを創れるかもしれない」ということもないんですよね。これは料理や個人で行うビジネスなどに多いように感じます。


自分のやりたいことが分からない人、生きにくいという人が増えている、、、このようなことがよく言われている現代ですが、知識(固定観念・先入観・余計な常識)にとらわれていることも、原因になっているような気が僕はしています。松下さんの仰るように " 知識が頭が重くさせている " のです。


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